HSCの不登校について、自己の経験を振り返る(高校時代)

高校生 HSP

こんにちは、naocoです。
登園をぐずった幼稚園時代
(詳しくはHSCの不登校について、自己の経験を振り返る(幼稚園時代)から)
順調にいくと思いきや、突然の海外への転校で嫌々ながらなんとか登校することが出来た
小学校時代、帰国後再び順調過ぎる生活を送れた中学校時代
(詳しくはHSCの不登校について、自己の経験を振り返る(小・中学校時代))
では、高校時代はどうだったのでしょうか、実は大きな落とし穴がありました。

スポンサーリンク

高校受験

中学校3年生になると、皆高校受験の準備を始めるためにそれまで通っていなかった人も
一様に進学塾に通い始めます。しかし私は塾に通う気は毛頭ありませんでした。
希望していたのは公立高校でしたから、教科書以外からの出題やテクニックは必要ないと
考え、「とにかく教科書を丸覚えすればいいんでしょう?」くらいに思っていました。
結局クラス45人の中で塾に行かなかったのは後に東大に現役で入った学年一位の秀才君
と、実家の家業を継ぐために高校進学しないと決めていた子と私の計三人だけでした。し
かし学校が終わった後にまた学校の様な場所に行くなんておおよそ考えられませんでした。

希望の高校は自分の学力より1、2ランク下げることになるのですが公立高校の中でも特
に校則が厳しくない、自由な校風の高校でした。偏差値の良い高校を重視するという価値
観は特にありませんでした。
小学校時代の海外での生活で、個人が尊重される教育を受けていた為か、どうも日本の学
校が個性の発揮を許さない軍隊の様に思えて仕方がありませんでしたので、そこが自分の
選択の最重要ポイントになりました。

進路相談の三者面談で、ランクを下げてるし必ず受かるから滑り止めを受けずに公立一本
で受験をさせて欲しいと頼みました。これにはさすがに担任の先生も驚いたのか、もう一
校だけ私立を受けてくれと逆に懇願されました。

私は何故、こんなことを言い出したのでしょうか。
まず行きたくない学校を受験することは意味が無いと思った事、そして、滑り止めで受け
るのですから恐らく合格するでしょう。しかし、私には行く意思がない。私が受けなけれ
ば、本当にその学校に行きたかった人が一人合格出来るかもしれない、と思ったのです。

結局先生の頼みを受け入れ受験しましたが、なんとも納得が出来ない気持ちでした。そも
そも、受験という競争が向いていないという事が根本にありますが、高校へ行きたい人が
一斉に試験を受けて、上から順番に偏差値の高い学校に振り分けるようにするなどすれ
ば、こんなに受験地獄の様な一年を過ごさずに済むのではないかと、至極疑問に思ってい
ました。
試験結果については自己採点では余裕のある点数で無事合格することが出来ました。
意気揚々と高校入学を迎える準備をしていました。

スポンサーリンク

高校入学

いよいよ高校に入学する日になりました。入学式の後、ホームルームで学級委員と副委員
を決めることになりました。皆バラバラの学校から集まってきているのにどうやって決め
るのだろうか、と疑問でした。すると、1学期は中学校からの内申書で決めるとのこと
で、中学時代で数多くのリーダーを経験したことがたたって、私が指名されることにな
ってしまいました。

別にその事自体は、もう学級委員慣れしていたのか、なんてことないと思っていたのです
が、帰り道バス停まで一人で向かっていると、「またなのか、また一からはじめなけれ
ばならないのか。もう疲れた、休ませてほしい。」とバンッと心の声が頭に浮かんでく
る衝撃がありました。

そんなこと思ったのは初めてだったのでびっくりしましたが、それを機に張り詰めていた
糸がぷっつりと切れたように、登校する気はぱったりと失せてしまいました。恐らく、小
学校の海外への転校と、帰国後の学校生活でクラスや部活動や委員会などのあらゆる場面
で常にリーダーシップを取っていた事が、知らず知らずのうちに精神的な疲労を積み重ね
ていっていたのかもしれません。

後に自己分析すると、完全に心身ともに「燃え尽き症候群」に陥っていました。自分の
限界が分からず、瀕死のレベルまで自分を追い詰めてハッと気づいた時には、ボロボロ
になっているというような、HSPの悪い習性が出たのだと思います。
自分の心の中では、「一年間休学しよう。出来ないのならば退学して大検を受けて大学
へ行こう」と決心をしていました。

とにかく“しばらく休ませてほしい”それが本当の気持ちでした。

休学の決定まで

帰宅後両親に休学したい旨を伝えました。両親も何が起こったのかまるで分らないようで
、初めはあたふたとしていました。「とにかく疲れたから休みたい」といっても、当時は
HSPの概念も、燃え尽き症候群という言葉も一般的でなく、若い子供がなにが疲れるこ
とがあるのかと半信半疑だったようです。しかし、幼稚園や海外の学校でつまずきがあっ
たのでそれと同じ類の状況か、さもなければうつ病や、脳の病気などなにか病に侵されて
いるのでは、と思ったようです。

何日間か行く行かないの攻防があった後、休学するにしろ、しないにしろ、病院で診察を
受けることを両親から促されました。自分では病気でこの様な事態になっているのではな
いと確信がありましたので、病院に行っても仕方が無いと思っていましたが、もしかした
ら何か、人と違う気質を或いは発見してくれるのではないかという、淡い期待をもって、
受診することを約束しました。

心療内科への受診

病院は心療内科のある大学病院に行きました。CT、血液検査、問診、カウンセリング
などありとあらゆる検査をしました。病気でないと自分で分かっているのに病名を付けら
れてはたまらないという思いもあって、カウンセリングも心理テストも手抜き無く真剣に
受けました。

しかし、カウンセリングに関してはカウンセラーの心を気配で察知してしまうHSPの特
性からか、質問の答えを2歩くらい先回りして答えてしまっている感覚があって、あまり
有効ではなかったのではと思います。

両親と共に教授先生が診察結果を告げられました。
「この子は病気ではありません。全て正常値です。ご本人が少し休みたいというのですか
ら少し休ませてみてはいかがでしょうか。病名は付けられませんが、学校に診断書が必要
であれば、思春期特有の自律神経失調症といったものをご用意します。」と告げられまし
た。両親はその診断に納得がいかなかったのか、もう一軒別の病院を受診すると言い始め
、後日他の大学病院へ行き、同じ様な診察を受けました。結果は同じでした。

とりあえず、身体や精神に異常は無かったものの、自律神経失調症を改善すべく、一か月
に一度の受診を約束に休学を渋々許してくれました。自律神経失調症の改善?・・・無駄
なのにな、と思いつつこれで一年休めると、安堵の気持ちになりました。

休学の一年間

その当時は今と違って引きこもりや不登校といった言葉もなく、登校拒否の問題児という
扱いだったと思います。中学時代の恩師も心配をして手紙をくれるなどしてくれました。
しかし、うちの両親は比較的世間体を気にしないタイプだったこともあって、特に隠し立
てすることもなかったように思います。

休学中は、音楽をたくさん聴きました。家族で出かけたりもしました。
月一度の通院に帳尻合わせの煩わしさを感じながら、少しずつ、少しずつ枯渇していたエ
ネルギーを人知れずに貯めていっている感覚でした。今後の進路についても自分の中で相
当悩み抜きました。しかし、退学して、大検を受けるよりも、両親の気持ちを考えると一
年遅れでも学校に戻ったほうが親孝行だろうと思い、何事も無かったようにエネルギー満
タンになった3月のある日、「4月から学校に復学する」と宣言しました。

学校

復学後

4月に入り、宣言通り一年遅れで復学を果たしました。周りの友人や大人たちは、年子の
妹と学年が同じになって肩身が狭いだろうと心配していましたが、私はそういうことは全
く気にもなりませんでした。また、3年生の時には中学時代の部活動の後輩と同じクラス
になりましたが、それも別に気になりませんでした。

何故皆はそんなこと気にするのだろうと逆に疑問に思ったほどです。年齢や、性別や、人
種など、私は決して区別しない思考なのです。
ただそれは、普通の人との間に感覚や価値観のずれがあることなのだということは認識し
始めていました。

エネルギーは満タンですから、うって変わって高校生活をエンジョイし始めました。時効
ですが、制服のスカートをミニ丈にしたり、ピアスを開けたりと、校則を破りつつも担任
の先生は「お前な~」と言いながら多めに見てくれていました。しかし、校則を破るから
には勉強はしておこうという生真面目さもあり、国語が得意教科だった為、国語だけは良
い成績を取ると心に決め、3年間5を死守しました。
ちなみに省エネを考えて、リーダーシップを取ったり表に立つことなどは一切しないよう
にしていました。

高校3年の進路決定に際しては、当時は女子は短大に進学する人がほとんどで、行きたか
った短大の国文科に学校の推薦枠があり、推薦を取って試験を受け、早々に進路も決まり
、卒業まではバイトに明け暮れた日々でした。

短大での生活も順調そのものでした。短大の生活は一番自分に合っていたような気がしま
す。カリキュラムや時間割も自分で選択できますし、何事についても自由ですし、遊びも
勉強も充実した生活を送れました。

高校生活まとめ、今後のHSCへ

今冷静に考えると、そのころにHSPの概念が知られていたら、こんな回り道をしない
で済んだのかな、と思うことがあります。
もし、大学病院の心療内科の医師やカウンセラー本人がHSPであってくれれば、何かも
っと良いアドバイスをくれたのでしょうか。それも難しかったかもしれません。しかし最
低限、全く違う病名を付けられなくて良かったと救いに思います。

それにしても、子供がレールを外れて、一年間休学するという事は一大事になってしま
うことなのです。
よくよく考えてみると、どうってことないことなのですが、まだまだ世間の風は厳しく、
本人も最終的には一人で戦わなくてはいけませんから膨大なエネルギーを消費します。
なるべくならこのようなエネルギーの無駄遣いをしないで済むように、HSCの特性を本
人がよく理解し、エネルギー配分も余裕をもって行わなければ必ず後になってつけが来る
という事を認識して、自分のペースとスタイルで学生生活を最大限有意義に送ってもらい
たいと思います。

タイトルとURLをコピーしました