HSC不登校の子供を持った時家族や医師は【我が家のケース】

親子 HSP

こんにちは、naocoです。

HSCのお子さんの不登校に直面されたときご両親は一様に不安とストレスに見舞われる
ことになることが多いと思います。

私の家の場合どうだったのでしょうか。
その時の両親の様子を見て感じていたこと、医師との関係について書いていきたいと思います。

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我が家のケース

私は幼稚園をぐずり(HSCの不登校について、自己の経験を振り返る(幼稚園時代))
高校時代に休学しました(HSCの不登校について、自己の経験を振り返る(高校時代))

その時の家族、医師の様子をどう思っていたのか追っていきたいと思います。

幼稚園時代

私は第一子です。両親にとってみれば子育て自体も、幼稚園に入れるのも初の経験です。
それまで聞き分けが良く、活発で妹の面倒見も良かった私が一変し、幼稚園に登園の際、
毎朝の様に泣き叫んでぐずり出したのです。

母はオロオロとすると思いきや、年子の妹がいて子育てが忙しかったせいか、そんなに心
配する感じでもなく、むしろ訳が分からずちょっとイライラした様子にさえ見えました。
恐らく毎朝のぐずりは、親離れ出来ない甘えのようなもので、慣れればそのうち治まるで
しょう、くらいに思っていたようです。
声を荒げるような感情的な様子も、不安とか悲しみの様な重苦しい雰囲気も感じことはあ
りませんでした。

我が家は5人家族だったのですが、HSPは私一人だけなのです。もし、両親の内のどち
らかがHSPであったとしたら、もっと状況は変わっていたかもしれません。
私の不安気な様子に共感し、気持ちが分かるから、どうにかしてあげたいと深く考えたの
かもしれません。

しかしそうではなかった為、私を含めて家族全員がチンプンカンプンの状況でした。
が一年後、人見知りでお姉ちゃんがいないと何もできなかったはずの妹が、入園してきて
、颯爽と笑顔でバスに乗り込む様子を見て、初めて「あれ?」と思ったと言います。

後に妹に聞くと「入園前からお姉ちゃんのバスのお迎え場所について行って、あまりに
泣いて嫌がるのを見て、来年から私はちゃんと行かなくちゃと思った」そうです。なん
とも面目なく思います(笑)

この時かかりつけの小児科では、行くたびに尿検査をしてケトン体値を調べられてばかり
いました。自家中毒を考えていたようですが、高い時もあったり、普通であったりと、
すっきりとした診断は得られることもなく、両親も不満気だったのを覚えています。

小学校時代

海外転勤に伴い転校したのをきっかけに不登校まで行かなかったものの、行きたくない
思いは強くあり、かなりストレスを抱えていました。

が、クラス全員が外国人で話すことも出来ず、現実的には一人も同じ状況だったことと
、勉強がハードで集中していた為、そんなに酷い事態に陥ることはありませんでした。

両親も、外国で一人で奮闘すれば少しくらい行きたくない気持ちも仕方ないと思っていた
ようです。
が、妹はどうだったのかというと、妹の学年は一学年の差だけにも関わらず、先生の方針
か、勉強が緩くて、歌ったり絵を描いたりの時間が多かったせいもあるかもしれませんが
、そこそこ楽しかったようで、淡々と登校していました。

また、日曜日は次の日の登校を考えると憂鬱で、頻繁に腹痛を訴えていました。
病院は日本語のできる外国人の医師が訪問診察してくれるスタイルだったのですが、自律
神経の失調からくるものと診断し、

「私は神経質じゃない」とメロディを付けて、声に出して言うようにしなさいと言われ
ました。一種の自己暗示の類だったのか、今考えれば嘘みたいな笑い話かもしれません
が、当時私は「この先生はダメだ」と思い、がっかりした思いがあります。

高校時代

高校で丸々一年間休学することになったのですが、今と比べて不登校者の数も少なく、よ
って世間体的にも今よりも厳しかったと思います。不登校=不良だった時代ですから。

ここで初めて両親がこれは大変だと気づいたようでした。
特に中学時代を活発にリーダーシップをもって生活していたことからの急激な変化で、相
当おろおろとし、落ち込んでいる様子でした。泣かれたこともありました。父に一体ど
うしたいんだと詰め寄られたこともありました。

それでも、休学届を出した後は戸惑いながらも比較的通常運転に戻ったと思います。
世間体もあまり気にする家ではなかったので、隠すとかいうこともなかったと思います。
三人兄弟で妹の他に弟がいますが、二人はもう私のつまづきには慣れていて、特に何も感
じなかったと言います。

休学するにあたり、大学病院の心療内科で精神的な病気、身体の病気、発達障害等の既往
がないかCTからカウンセリングまで徹底的に調べられました。
HSPの概念も無い頃でしたから、何も異常が認められないので自律神経失調症と診断す
るという先生からの報告になりました。私は自分を病気だとは思っていなかった為漠然と
「それはそうだろう」としか思いませんでした。

診断結果を告げられたあと両親だけが再び呼ばれました。「本当に何もないのか」と確
かめる両親に、「お子さんは極めて正常です。むしろご両親に問題があるのではないで
すか。そういうケースが多くありますので」と冷たく言い放たれ、打ちのめされたと言
います。

子供の立場を最優先に考えるスタンスでのマニュアル通りの言葉だったのかもしれません
が、後から聞いた私は、お門違いの言葉に悔しさのあまり涙したことを覚えています。
そういえば、カウンセリングや心理テストでも、「あ、これは両親との関係について問題
がないか聞き出したいんだな」と思われる設問が多くあり、誰のせいなんてどうでもいい
、この漠然とした不安の答えを出してほしいのに、大したことない。と肩を落としていま
した。

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休学中家族や医師に対して思った事

休学中、両親に対する、一番印象的な思いが「とにかく、放っておいてほしい」でした。
この言葉は何度となく一人つぶやいていたように思います。平穏な時間と環境が欲しか
ったのです。

自分でも訳の分からない不安と疲労で休学したことについて絶望の日々でした。穏やかな
口調とは言え、理由を問い詰められたり、泣かれたり、イラつかれたり。二重苦三重苦の
苦難でした。どうして、こんな緊急事態に逆に親のフォローまでしなくてはいけないのか
、どうか穏やかでいて欲しいと常に願っていました。

部屋でこもって音楽を聴きながら、色々と考えていたある日、ふと気づくと私の部屋から
ハサミ、カッターなどの刃物が全て無くなっていることに気づきました。
精神科医が書いた不登校に関するhow-to本で、自殺の可能性を考えてそうする方が良い
と書いてあったそうです。
ことを荒立てたくなかったので、もう何も言いませんでしたが、ハサミのない生活は実に
不便なものでした。ちなみに、自殺願望は全くありませんでした。

一度だけ、母に「こんなに苦しんでいるんだから、ピリピリしないで欲しい。」と涙なが
らに訴えた事があります。母は自分のイライラをうまく隠していたと思っていたことを指
摘されて「そうやって人の感情を勝手に読むのはやめなさい」と憤慨していました。

気持ちを読んでいるつもりはありませんでした。分かってしまうのです。皆がそういうも
のだと思っていましたから、普通はそうじゃないんだと初めて気づき、何かいけないこと
をしているんだ、ということを思った事を覚えています。
今となってみればHSPの特性からくるものという事がわかりますが、当時はもう全てが
謎だらけでした。

問題解決において、親を頼ることも、医師を頼ることもどうやら難しいと思うようになり
ました。
しかし、現実的には自分がどうにかしなければならない問題ですから、それで良かったの
かもしれません。

医師やカウンセラーが親の甘やかしや育て方の問題と、問題のベクトルをとんでもない
方向に向けたり、親がどうにかして皆と同じにしなければと、無駄な奮闘している姿を

子供は冷めた目で見ています。そして絶望しています。

そんなことを望んでいるのではないのです。不安の大もとの謎を知って、快適に生活を送
る方法が知りたいだけなのです。

どうか、方向違いの答え探しをせずに、そのことについてお子さんに寄り添い、話し合っ
て、焦らずに、その子その家なりの方針で答えを見つけ出して頂きたいと思います。

HSP
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